フェイジョアの実が甘くならない年があって混乱した話|落果しても味が薄かった体験
2026-01-30
秋が深まり始めた11月初旬、庭のフェイジョアがぽつぽつと落果し始めた。毎年同じような時期に拾って食べているので、特に疑いもなく籠に集めた。朝露で少し冷たい実を手に取ると、去年と同じ重さ、同じ大きさに見えた。皮を割ると瑞々しく、見た目は問題ない。ところが食べてみると、甘みが薄く、どこかぼやけた味だった。数個続けて食べても印象は変わらず、「今年は外れ年なのか?」と首をかしげた。
結局、その日は「こんな年もある」と独り言を言いながら、残りは冷蔵庫に入れた。後日食べ直しても劇的な変化はなく、追熟すれば良くなるという期待も外れた。例年はもっと甘さを感じていたはずなのに、その記憶とのズレが気持ち悪かった。自分の舌がおかしいのか、木の調子が悪かったのか、答えが出ないままモヤモヤしていた。
楽しみにしていた分、落胆も地味に続いた。甘くなると信じて拾った実が期待に応えてくれないと、収穫の喜びそのものが薄れてしまう。毎日何十個も拾える年もあるだけに、「量はあるのに満足感がない」という妙な虚しさが残った。食後も口の中に残るのは、甘さよりも物足りなさだった。
今思えば、その年は気温の変動が大きく、収穫前に強風もあった。落果したからといって、必ずしも味が乗るとは限らないことを軽く考えていた。当時は「落ちた実=完成形」という単純な図式で判断していたが、それが間違いだったのだと思う。
次に同じ状況なら、落果してすぐ全てを食べず、時期や気温をメモしながら少しずつ試すだろう。味が薄い年があること自体を前提に考えれば、無駄に落ち込まずに済んだかもしれない。あの年のフェイジョアは、期待しすぎた自分への戒めだった。
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